至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

高橋愛の野心

高橋 『けいこではまだまだって感じだけどね。でも、前に(米国の)ニューヨークで見たミュージカルに感動して。言葉や内容は違っても心にくるものがあったし、勉強になった。この舞台に立てたらと、夢を抱いたよ』

藤本 『それこそが野心だよ』


ザ・テレビジョン関西版 6・23号 /(株)角川書店 p.95 より引用

こちらは本日発売のザ・テレビジョンから引用したものだ。
雑誌の取材記事というものは、たとえそれがフリートーク形式であったにせよそれがそのまま掲載されることはほとんど無い。なぜなら企業秘密やプライバシーに関する事などオフレコにしなければならない内容が含まれる場合もあるからだ。
だから今回のモーニングチャンネルの記事に関しても、メンバーが語った言葉がそのまま掲載されているというわけではない。多かれ少なかれ編集の手が入っているのは間違いない。

しかし、見方を変えれば編集を経て出版された記事は、読者に対してメンバーが公に発信してもよいと認めた内容といえる。

事実、今回の記事の中には、紺野・小川両名による卒業に対するコメントや、もうすぐ誕生日を迎える道重さゆみの話や、久住小春の「きらりん☆レボリューション」の話題など、旬のネタが散りばめられている。

その中で高橋愛が発したメッセージが上記の内容だ。

高橋愛ファンにとっては、今年初めに彼女がニューヨークに行ったことはヤンタンで確認済みであるから、新鮮な内容では無い。しかし、あの控えめな高橋愛が大胆にもブロードウェイの舞台に立ちたいと公に向かって宣言したことはエポックな出来事ではないだろうか?

さらに言葉は続く

高橋 『そうだね。役者さんを表現者としてすごく尊敬したし、自分もいつかそうなれたらな〜って思う』

ザ・テレビジョン関西版 6・23号 /(株)角川書店 p.95 より引用

高橋愛の口から『表現者』という言葉が聞けた。これはまさしく自分自身も表現者であるという自覚から発せられたものだ。

嬉しいじゃないか。私自身、高橋愛表現者であると常々から思っていたのだから… 表現者という言葉の意味するところは、自己が創り出した表現によって観客を魅了する者ということである。

そういった者になるというのが高橋愛の野心だ。

おそらく多くの人は野心と呼ぶにはあまりにも突拍子もない話に苦笑するだろう。当たり前だ。だが私は胸を張って言いたい。

『野心を持つ者だけが、より高みに上ることが出来る』

と。

これからも一人のファンとして高橋愛の生き様をしっかりと見ていきたいと思う。