至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

リボンの騎士 ザ・ミュージカル 〜リボンの騎士を越えて〜

モーニング娘。の舞台」として今回の作品を捉えた時、作品の出来映え同様、手放しでそれを絶賛できるのかと言われれば、正直なところ、ボクの中でそれは、極めて難しいと言わざるを得ない。

週間 Hello!Project 批評。さんより
http://d.hatena.ne.jp/Moon-Rider/20060902

今回はこちらのご意見から。
はっきり言って、こちらのご意見は至極全うなご意見だと思う。むしろハロプロファンであるならば、こういう感慨を持って当然だと思います。私もいざ夢から醒めてこういった意見を目にしたとき、結構うなずける部分はあります。それはありがとう(モー神通信。)さんで書かれていることに対しても同じ。(奇しくも同じ「モヤモヤ感」という言葉で表現されていますが)

では、そのモヤモヤ感とは何なのか。例を挙げるとすると、今回このミュージカルを観に行った人の中で、ハロプロファンでない人が「じゃあ今度、ハロプロのコンサートに行ってみよう!」と思う人は、殆どいないだろうが、「じゃあ今度、宝塚歌劇を観に行ってみたい」と思うヲタは結構いるだろうということ。

つまり今回のミュージカルは、ハロプロがあくまで宝塚歌劇のように」ミュージカルを演じただけだったということです。

高橋愛は水を得た魚のように主役を演じきりました。しかし、それはかねてから憧れだった世界の中でそれに準じて演じただけだったと言えます。極端な言い方をすれば、要は演出家の手の中で踊らされていただけとも言えます。(当然そのようにしなければならない制約が多くあったからですが)

ですから、ことモーニング娘。」「ハロプロとしてスポットを当てたときに、そこに一抹の「寂しさ」をこのミュージカルから感じるというのは当然であり、それがそのモヤモヤ感の正体ではないでしょうか。

「素晴らしいスタッフが揃えば、これくらいのことが出来ることは分かってる。だが、そこからさらに娘。として、ハローとしての輝きを放てなければ…」 と、…


これは実は非常に難しい問題でもあります。と、いうのは、たとえば「モーニング娘。」という器自体とっても、それが固定されたものではなく非常に幅広いものだからです。

今回のミュージカルを観て「娘。はもうミュージカル専門集団になって欲しい。ハロモニなんか出なくていい」という極端な考えを持つ人もいるかもしれない。(私はそうではありませんがw)でも、その人にとってはそれが理想のモーニング娘。です。
あるいは、「こんなんいらんねん。もっと握手会とかFCツアーとかやってほしいねん」と思う人もいるかもしれない。それもその人にとってはそれがモーニング娘。です。

つまり、今回のミュージカルは娘。としては、その多彩なある一面を私たちに見せてくれたものと理解しています。(当然、上記のお二方もそのように捉えられていると思いますが…)
モーニング娘。って何?」という問いには、このミュージカルは答えられていません。またその問いに答えることは非常に難しいことです。それはこれからまた彼女達が自身のWorksで示していかなければならないことだと思っています。


私自身は、今回のミュージカルにおいて久々にハロー!プロジェクトによるクォリティの高いWorksを観ることができ、それだけでも非常に満足しています。しかしそれが全てだとは思っていません。当然これからも娘。として、ハロプロとしての活動は続きます。

もし、この9月末から行われる娘。秋コンで、高橋愛が「ミュージカル恋しや」といった感じで気の抜けた姿を見せるようであれば、もうそれはモーニング娘。である必要はないし、さっさと脱退してそれなりの活動を目指せばよいと思います。

私がこのミュージカルを終えて最初に書いたフランク・シナトラの言葉。それこそが、エンターテイメントの真髄であり、ハロー!プロジェクトの真髄であると思っています。

リボンの騎士の物語は終わった。だが娘。の物語は終わっていない。

この秋のモーニング娘。ツアー、今から楽しみにしている。