至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

『魔女ヘケート』 …哀しい愛の物語

魔女ヘケートは藤本美貴が演じます。もうこれはキャスティングそしてその演技・歌ともにこのミュージカルの中でも最高のものの一つでしょう。圧倒的な魔性のもの存在を見事に表現しています。

古来より、というものは、人間の弱き心に宿るもの。…例えば同じ手塚治虫先生で『ブッダ』という作品がありますが、ここでも悟りを開こうとするブッダに悪魔があの手この手で惑わし、それを妨害します。しかし結局ブッダはそれを跳ね返し悟りを開きます。最後は悪に負けない正しき心が勝つのです。

このミュージカルの中では、魔女の囁きに負けDarkSideに堕ちていく大臣と、父の教えと母の諭しによって正しく生きることを悟ったサファイアとの対比が、魔女ヘケートを介して語られます。

人を憎むことの空しさを母である王妃から諭され、憎しみに満ち溢れたサファイアは、正しく生きることを再び悟ります。サファイアは父の仇を討ちに城に再び戻りますが、もしフランツとの決闘が無かったとしても、最後は大臣を殺さなかったのでは… と、思います。だからこそ決闘では自らの死を選んだのではないかと…

父への愛、母への愛、そしてフランツへの愛を貫いて、自ら死を選んだサファイアをみて、ヘケートは悟ります。

「愛の本当の姿」

永遠の刻を与えられ、この世の全てのものは手に入れられる魔女。…しかし、限りある命の中で人間が創りだす愛は手に入れることができなかった… 愛が欲しい… だがその愛とは愛されることではなく「愛すること」

魔女ヘケートは、その哀しい愛の物語の中から人間の愛とは何か、を私たちに教えてくれます。
最後に、真の愛とは何かを悟ったヘケートに神から魂が与えられます。限りある命である人間の魂が… それを受け取ったヘケートの笑顔が忘れられない… それはもう魔女のそれでは無かった… 愛を悟った女神の微笑みでした。


私は無宗教な人間ですが、この愛についてはキリスト教におけるアガペー(αγαπη)」がその真の姿だと思っています。何かの見返りを求めるのではなく、ただ愛することによって人は幸福になれる。

「愛とは、愛することである」

それこそが「至上の愛(Love Supreme)」だ。 …そういえば、私の名前はそこから取ったんだっけ。いまだ真の愛を実践できていない身としては恥ずかしい限りだ。


さて、本日からはあややフランツです。より一層、剣を握るヘケートの手にも力が入ることでしょう…(いやあコワイコワイw) どうかお手柔らかにお願いします。