高橋愛ゆえに
昨日仙台で行われた娘。コンサートにて高橋愛の「大阪 恋の歌」に変化があったそうだ。これまでと比べて特にダンスの表現が大幅に変わったらしい。
私は先日参加した富山公演のレポートで次のように書いていました。
そして、これは私の想像ですが、おそらくこの曲に関しては「高橋、自分で考えてやってみろ」という感じで丸ごと渡されていると思います。娘。で演じる曲の場合はダンスのフォーメーションやパート割りが細かく定められていますが、ソロで演じるこの曲、特に今回の場合は、高橋愛個人に任せられている部分が大きいと思っています。
そしてその中で「表現しなくちゃいけない…でもわからない…」というような迷いがあるのではないか…と思いました。これは表現する者として必ずある葛藤ではないかと思います。でも、そんな中から自分の表現を創り出し、それを積み重ねていくのが表現者の姿であると思います。
だから今回のこの曲については、厳しい言い方をすると「まだまだできる」と思いました。当然、彼女もこれで完成だとは思ってないでしょう。頂点は無いのだから。彼女に与えられる仕事(mission)はもっともっと高い位置にあると思います。
次に私が参加する大阪公演までにどう変わるのかと思っていましたが、早くも変化があったという…
この話を聞いたとき、まるで当たり前であるかのように思っている自分がいました。私が常々書いている「期待に応え続けている」というのはまさにこういう事。…今回の件も彼女の意志によるものか、コレオグラファーの指示によるものかは分かりませんが、(私は彼女の考えによるものだと思っていますが)確実に進化した姿を毎回見せてくれる…
だから私は高橋愛という人から離れられないんだろうな。