至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

高橋愛

http://www.geocities.jp/tkmoshin/ モー神通信。/TK氏


…本日、こちらで愛たんについて書かれています。
前にも書いたように私は高橋愛ファンなので、そうでない人が普段、高橋愛を見たり聞いたりしたときにどんな風に感じるのかを想像するのは非常に難しいです。…ですので、こういったテキストというのは貴重な面持ちで読ませていただいてます。ファン以外の人がそのメンバーについて取り上げて語るっていうのはなかなか無い事ですから。

私自身としてはオーディションで合格した時からずっと「高橋愛」を見続けているので、高橋愛という人がどんな人なのかというのは、他のファンの人と比べて大方理解できていると思うし、ここで言われているズレというものも普通に取り込んでしまっているので、特にそれを際だって感じることは無いのですが、やはりファン以外の人から見るとそれはかなり奇異に映るようですねえ…(笑)

例えば紹介されている「二人ゴト」についても、まさに高橋愛そのものの姿であって、見たときは次にどんなセリフを言うかまで容易に想像できたものですが、このオンエアがあったときに、周囲から「高橋ってこんな奴だったのか!」みたいな意見が多数あがってちょっと驚いたのを覚えています。


常々思っていることは高橋愛という人は、「全然変わらないな」 ということ。


…誤解無いように付け加えると、歌・ダンス・容姿といった外面の事では無くて、内面の人間性の部分です。…芸能界という特殊な環境に若いうちから入って、そこで一番多感な青春時代を過ごすというのは、その人の人間形成にかなり影響を与えるのではと思うのですが、こと高橋愛にいたっては、「福井から出てきたときのまんま」…のように思いますね。

それが現在でも芸能人としての高橋愛の長所と短所の両方を形作っていると思います。


そんな中、確かに指摘にある通り彼女は常に迷っていたと思いますね。モーニング娘。という国民的アイドルグループに入った自分と、福井から来た田舎娘の自分。…実力があるが故に与えられるポジションに対する自分。…ミニモニ。という人気ユニットに突然参加させられる自分。 …いろんな場面場面でかなりなプレッシャーや苦しみがあったと思います。

高橋愛だけでなく5期全般にも言える事ですが、よくキャラ作りという言葉が本人達から聞かれたのは、そういう場面での迷いからくる言葉だったように思います。本来の自分と演じなければいけないキャラクターのギャップに喘いでいたように思います。

…それから徐々に解放されるようになってきたのは、もちろん本人の成長もあると思いますが、私は6期の加入っていうのが大きかったように思いますね。6期はどちらかといえば4期に近いフィーリングがあると思います。そんな下の子達が伸び伸びやっているのを見て少しずつ変わっていったんじゃないかなあと思います。上がどんどん卒業していって責任感がでてきたってのもあると思います。

未だに自分では「普通」だと思っているので、本来の自分に疑問を抱くことは今後もないと思いますが、これまでのようにキャラ作りで迷うということは、殆ど無くなっていくように思います。「あーこれでええんやわー」というような声が聞こえてきそうな感じ(笑)

高橋愛来年の目標に「自分探し」というのを挙げてますが、来年こそ本当に解放されて何者にも囚われずに自分というものが探せる年になるのではないでしょうか…どんな高橋愛を見せてくれるのか本当に楽しみです。


…しかしバラエティにおいて、その「ズレ」を理解してそれをメディアで生かしてくれる人は確かに少ないです。新垣さんと明石家さんまぐらいで(笑) その辺はこれからの課題かな… (未だに仲の良い加護ちゃんは愛たんと、どうやって合わしてるのか疑問に思うことがあるのですが、加護ちゃんガキさんや俺たちファンと同じそのズレを理解できる存在なのだろうか?(笑))