至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

青年の主張

今日はここで私の主張を述べます。当然それには賛同する人もあれば、反対意見の人もいるでしょう。もし私の主張を読んで何かしらご意見があれば、お気軽にコメントなりトラックバックなりメールなり頂ければ嬉しいです。

このたび私がその主張を述べようと決断した理由は、昨年末ごろから現在に至るまで、ずっと私の心の中で思っていることがあったことと、昨日、id:Moon-Riderさんの書かれた内容が、きっかけとなったからです。

実は私は、Moon-Riderさんとは顔見知りであり、コンサート会場でもよく話をしたこともある間柄です。ですので、この主張は決してMoon-Riderさんに喧嘩売ってるわけじゃないということを最初に明記しておきますw

ただ私は普段ここで「娘。をアイドルとしてはとらえていない」などと書いているので、「娘。をアイドル視できない者はその魅力を半分も味わえていない」と公に書かれると、さすがに立つ瀬が無いのでw その「アイドル」というものに対する主張を、私なりに述べようと思った次第です。そしてそれが私が昨年来からずっと思っていたことです。

主張その1:「アイドルは死んだ」


いきなり過激な主張で驚かれると思いますが、これは最後まで読んで欲しいためにわざとインパクトを与えるために書いています。やっぱり「娘。notアイドル」か、と思わないようにお願いします。

では「なぜアイドルは死んだのか」を述べる前に、そもそも「アイドル」というものの定義を確認したい。もし、私の思っている「アイドル」と皆さんが思っている「アイドル」が違えば、この主張も意味が通じなくなるからだ。

しかし、昨日も書いたように、私自身そもそも「アイドル」がどのようなものか分かっていないのだ。…なので、ここでは乱暴だが私の想像で「アイドル」の定義をしたい。ただし、想像といっても独りよがりなものではなく、様々な資料やこれまでのご意見を参考にさせていただくことにする。もしそれが間違っているというのであれば、即、訂正のご意見を頂きたい(マジで)

最初に、「アイドル」というものは、いつごろから生まれたのだろうか? 戦後、スターシーンを飾った人としては、美空ひばりから始まり、現在に至るまで多くの人が存在し、その中にはまさしく「アイドル」と呼ばれた人もいる。吉永小百合も「サユリスト」の中ではアイドルだろう。天地真理もそうだ。だが、今現在一般に流通している「アイドル」という言葉で呼ばれる存在というのは、やはり'80年代に確立されたのではないだろうか?

それは「松田聖子」「小泉今日子」に代表されるようなアイドル像だ。私自身の認識としては「アイドル」といえば、まさしくその世代の人たちを想像する。
華やかで可愛らしく美しく元気で、「天使」にもなぞらえるといった存在… 漫画やアニメの世界から抜け出してきたような存在をして「アイドル」というのではないだろうか?
ここで先のMoon-Riderさんの言を引用させていただくと、

これは何度も書いてきているが、アイドルというものは、どんなに時代は流れても、どこまで行ってもやはり「夢売り商売」なのであって、前時代的とか、思考がオヤジとか言われたとしても、アイドルは男の影を決してちらつかせてはならない。それが鉄の掟というものである。
そして、恋愛していたとしても、それをおくびにも出す事なく、いけしゃあしゃあと「あなただけのワタシ」である事を演じる事こそが、アイドルにとっての「プロ意識」なのである。

http://d.hatena.ne.jp/Moon-Rider/20061102

「アイドル」とは夢を売る存在であって、「あなただけのワタシ」という存在を演じることである、ということです。

…なるほど、これは理解できる。そこら辺には滅多にいないような超美少女が、その衣装も振る舞いも可愛らしくあって「あなただけのものよ〜んウフ」となれば、誰だって舞い上がるというものだw 「ロリコン」までいってしまうと病的だが、そのような存在に世の野郎共の心がときめくのは理解できる。

だが、私が最も違和感を感じる部分もまた、まさにそこなのだ。

実はこの引用部分は、昨年、私にとってかなり衝撃的だった事件の際に書かれたものだ。そう「村上愛 ℃-ute脱退事件」だ。

彼女のファンの方にとっては今また蒸し返すようで恐縮だが、私自身「アイドル」というものが全く理解できないと認識するに至った事件がこれだ(事実そう書いている→http://d.hatena.ne.jp/shijo/20061101

なぜ彼女が辞めなければならなかったのか… 今となっては真実は闇の中だが、そこに「アイドル」という概念が深く関わっていることだけは想像に難くない。そしてこれはファンの間に深く悲しみを刻み込んだ事件としていつまでも残るだろう…

ハロー!プロジェクトに所属する全ての子たちが等しく守り、決して侵してはならない概念があるという… それが「アイドル」だ!

「あなただけのワタシ」という夢を売るのが「アイドル」だという… 清純で処女性を保たなければならないのが「アイドル」だという… ファン全ての恋人たる存在であるのが「アイドル」だという… しかし果たしてそんなものが今の世の中に本当に存在できるのか?

確かに、テレビという娯楽が最大の力を持っていた'80年代ならまだアイドルというのは生きることができた。夢を見ることができた。みんな「テレビの中のかわい子ちゃん」に無邪気に夢中になれた。だが今は平成の世だ。メディアも多様になり、価値観も変化し、大衆の趣向も変わっている。テクノロジーも進化し、ネットではいつでもリアル殺人シーンが動画で見られるご時世だ。素人が盗撮、盗聴、情報漏えい、なんでもアリだ。

そんな世の中ではもう「アイドル」は生きていけない… そう「アイドル」は死んだのだ。
夢はすぐ打ち破られてしまう世の中なのだ。

なのに「アイドル」という概念だけが昔から何の変化もせずにゾンビのように生き残って今も存在している。そしてそれを現在の対象に当てはめようとするから、イビツになる。

結果としてそれが多くの悲しみを生む要因となっているのは、皆さんも想像できるだろう…

だが、ある人は言う「それがアイドルの宿命だ」と… そうなのか?それほどまでにして守らなければならない概念なのか?そしてそれを守り通したときに何が得られるというのか…?

そうまでして必死で守り通して「あなただけのワタシ」を演じ続けても、受け手側の方はいつでも安全な場所から、自分の自由で、若い方へ好きな方へ都合のいい方へ乗り換えることが許されている… 演じる方は外出することすら自由ではない生活を強いられているというのに… こんな馬鹿げた関係があるだろうか?

そこで私のメインの主張がある

「なあ、もうやめにしね?」


既存の「アイドル」という概念は、作り手側も受け手側も、もう捨てるべきだ。今の世の中では「アイドル」は生きていけないし、生きる価値も無いのだ。今の世の中に求められているのは、「あなただけのワタシ」ではなくて「皆と共に歩む者」あるいは「皆を導く者」なのだ。

経済成長も鈍化し、ニートや若年犯罪がはびこる今の世の中に必要とされる者は、「正しき信念をもって他人を思いやり、されど縛られず自由に生きつつ自己責任を果たす者」だ。

それをまさに偶像となって皆に示す者こそ現代の「真のアイドル像」ではないのか?

コソコソ男と会ってFRIDAYみてえなゲス雑誌に撮られるなんてダセェよ! 恋愛? …思いっきりやったらええやん! 高橋愛がどっかのすっげえ尊敬できるいい男と恋愛してさ、それでも舞台ですっげえ格好いいダンスして歌うたってさ、「人生ってのはこんな風に格好良く生きるのよ」ってな姿を見せてくれたら俺は最高に嬉しいぜ!(まあ不器用な愛たんには少々ハードルが高いが?w)

「ワタシも愛ちゃんみたいな恋愛したい!がんばる!」って勇気を皆に与えるのが今求められる「アイドル」ではないのか? モーニング娘。こそ今まさに新しき「アイドル」像を創り出せる存在ではないのか?(いや別に無理矢理恋愛しろとは言ってないがw)


「…それってアイドルじゃなくてアーティストやん…」


ってな意見が聞こえそうだw いや、正直呼び名なんてどうでもいいのだ。だが、そんじょそこらのアーティストとか呼ばれる連中では真似の出来ないエンターテイメントを生み出せるのがモーニング娘。でありハロー!プロジェクトだと俺は断言する。
「さすがモーニング娘。そこにシビれるッ!憧れるゥッ!」ってなれるのがモーニング娘。だと思ってるのだ。…だがそこに古くさい「アイドル」像が関わってくると、それが足枷になってるように思えてならない…

彼女達の可能性を、その概念が止めてしまってるように思えるのだ。いかがなものか…?


最後にもう一つ、主張しよう。私達とモーニング娘。ひいてはハロー!プロジェクトをつなぐもの… そこに存在する究極のものは「大いなる愛(Gran Amore)」だ。

おいおい最後にやっぱり愛かよってツッコミはちょっと待て… ここでいう愛は疑似恋愛の愛でもなければ自己愛でもない。お互いの存在を尊重して、そこにある絆の間で交わされる、言わば「無我の愛」だ。
吉澤ひとみはサイリュウムで真っ白に染まった卒業コンサートのステージでこう言った。
「何色にでも染まるよ」…これは「貴方の言いなりになりますよ」ということではない。「いつでも私はファンと共にありますよ」ということなのだ。吉澤ひとみという人間は、これからもファンの皆と共に生きていきますよと言ってくれたのだ。これを無我の愛と言わずしてなんと言おうか… 本当に嬉しかった。貴方たちがいるから私がある、だから吉澤ひとみという一個の人間として責任を果たして生きつつ、なおその心はファンと共にあるよと言ってくれたのだ。格好良すぎるやんけ。
だから俺たちも愛には愛で応えないと… そこにはつまんねえチンケな自己満足に繋がる愛はいらんねん。ほんとにそう思う。だから俺もそうなるよう努力したい。よっすぃ〜ほど立派な人間ではないが、ただただ彼女達を愛し、彼女達とともに生きていたい… 本当にそう思ってるんよ。それには「自制心」が必要だ。

「あなただけのワタシ」に溺れるのではなく、お互い一個の人間として自身の人生をしっかりエンジョイしつつ、彼女達を「大いなる愛(Gran Amore)」で愛してみないか?


うまくまとまったかどうか分からんが、これが私の主張だ。 …あーすっきりしたw