至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

モーニング娘。コンサートツアー2006 春 〜レインボーセブン〜 / 富山オーバードホール

新アルバムをひっさげてのツアーということで、参加前からいつも以上にテンションが高かったです。どんなものを見せてくれるのかという期待が後から後から湧いてきて、押さえるのが大変でした。…先に参加した人達からもいろんな情報が入ってくるし… では自分なりに感じたことを書いていきます。

今回の春コンは全体的にMCが少なくなってます。個人別で喋るのは最後の挨拶ぐらいで、後は殆ど歌ってます。それだけパフォーマンスの比重が高くなってます。これは演じる方としては結構しんどいことではないかなあと思いました。もちろん今回のセットリストではメンバー内ユニットというような曲があるので、ずっと出ずっぱりのメンバーはいないのですが、それでも歌・ダンスがミックスされた娘。コンでは、演じる曲が増えれば増えるほど負担が大きくなってくると思います。今回も秋から引き続きゲストもいないし。
これは傾向として、より楽曲を重視するという方向にいってるのではないかな、と感じました。歌うこと、踊ること、その中で自分自身を、そしてモーニング娘。の魅力を最大限に表現すること、それが今回の春ツアーの一つの課題となっているのではないか、と思いました。ハロモニでやっているようなコミカルな内容も娘。の魅力ではありますが、やはり原点は歌とダンス。コンサートでは、その本来の姿に回帰するという意気込みが感じられました。

そして今回、私はずっと高橋愛ばかり見てました。これまでのコンサートでももちろんそういう傾向にあったんですが、特に今回は殆ど彼女から目を離すことがありませんでした。だから、彼女が出ていない時以外の、他のメンバーの表現は殆ど見ていません。…これはコンサートの見方としては偏ったもので、好ましくないと思います。しかし、逆にそれだけ高橋愛の姿が魅力的であったということを、最初に言っておきます。…目を離すことができないぐらいに… だからここからの内容も、これまで以上に彼女中心になると思います。


まず、最初に彼女の姿を見て思ったのは、ちょっと下衆な表現になりますが、「イイ女になっていってるなあ」ということ。…彼女は今年で二十歳になりますが、実年齢以上にその言動や仕草から幼く見られることが多い人です。そんな彼女でもやはり、歳を重ねるごとに段々と大人になっていって、女性としての魅力をその容姿に携えていくんだなと感じました。…例えば後藤真希さんは今、輝かしいぐらいの美貌を身につけていますが、高橋愛もこれから、二十歳、二十一、と歳を重ねていくごとに同じように美しさを積み重ねていくんだろうな、と思いました。

次に全体を通しての高橋愛の表現について…
彼女の歌やダンスのスキル的なことについては、もう一つのレベルは確保していると思うので取り立てて書くことはありません。もちろん頂点は無いから、今後も高みを目指してやっていかなくてはいけませんが、娘。コンで表現する事においてのスタンダードなレベルは、普通に確保できていると思います。だから今の高橋愛においては、スキル的な部分以外の所に注目したいと思います。

例えば、今回でいえば、小春ちゃんなんかは「ちゃんと歌詞を覚えて、ダンスも間違えずにやって、元気よく楽しくやること」というのが彼女に与えられた仕事(mission)だと思います。しかし高橋愛に与えられるものはそれとは違います。もっと高度なものが与えられ、そしてそれに応えなければならないのが今、彼女がいる位置(position)です。
私が思う彼女に与えられる仕事(mission)については後ほど書きますが、今回の彼女の表現の中では、安定したスキルに支えられた「表情の豊かさ」が際だっていたと思います。
特に今回の夜公演は舞台に近い席だったので、それを存分に観ることができました。
殆どの曲で彼女の表情が途切れることが無い… 表情が途切れるという表現は想像しにくいかもしれませんが、つまり各曲において、その曲の歌詞の内容に合わせてずっとそれを表現しつづけているのです。もちろん歌い踊りながら…
新曲の「SEXY BOY〜」ではそのコミカルな内容を、「愛あらば〜」では純情な気持ちを本当にチャーミングに… かと思えば「色っぽい〜」では一瞬でガラリと表情が変貌して、深い情熱を醸し出します。
…その他にも、参加している全ての曲において、自分が歌っていない時でも、その内容に合わせてずっと表現しつづけています。…もうそこから可愛らしさや色っぽさや格好良さとか、いろんな魅力が出現しつづけるので、ひとときも目を離すことが出来ませんでした。
前にも高橋愛はその魅力で観衆を煽ってくるみたいな事を書いた記憶があるのですが、今回は本当にそれを自然な中でやっているように思えました。歌・ダンスだけではなく、それ以外の部分での魅力が今回のポイントかと思います。
そして、それが最大限に要求される曲について書きたいと思います。

おおさかこいのうた

今回、高橋愛には「大阪 恋の歌」のソロが与えられています。
まず初めに、今回のこの曲はタイトルも歌詞もメロディも変わっていませんが、これまでの娘。の「大阪 恋の歌」とは全く別物です。同じ物ではありません。また同じ物であってはいけないと思います。何故なら「ソロ」で演じるからです。誰がどの曲を演じようが、それがソロであるならば、例え仮にどれだけスタンダードなオリジナルが存在したとしても、関係ないと思います。それぐらい「ソロで演じること」というのは大きなことだと思っています。
舞台の上で独りだけ。全ての観客が自分に集中する。その中で表現者として自分の持てるスキル、感情、全てを使って表現して観る者を魅了しなくてはなりません。そこには誰の助けもありません。自分だけ。他人が入る余地はありません。己が全て。そこには自分自身が創造して表現するものしか存在しえないのです。
そんな場所が与えられた高橋愛はどうだったか… 個人的に感じたことを書きます。

全体として高橋愛個人としてこの曲を自分なりに解釈して表現しているように思いました。振り付けなどは娘。での物を踏襲している部分もありますが、彼女なりにこの「大阪 恋の歌」で表現されるもの、表現すべきものを創り出そうとしているところが感じられました。…最初に「別物である」と書いたのはそこからです。
おそらく彼女自身はこの曲の歌詞で表現されているような恋愛経験はまだ無いと思いますが、経験が無いから演じられないというのであれば表現者としては失格です。「表現を創り出す」ということが表現者には求められると思っています。
そんな条件の中、彼女なりの創り出した表現というのを感じることができたと思うのですが、また同時に「迷い」というのも感じました。
と、いうのはこの曲のラストのサビのところはもう完全にフリーになるのですが、そこでの表現は今一歩、前に踏み出せていない印象を持ちました。
そして、これは私の想像ですが、おそらくこの曲に関しては「高橋、自分で考えてやってみろ」という感じで丸ごと渡されていると思います。娘。で演じる曲の場合はダンスのフォーメーションやパート割りが細かく定められていますが、ソロで演じるこの曲、特に今回の場合は、高橋愛個人に任せられている部分が大きいと思っています。
そしてその中で「表現しなくちゃいけない…でもわからない…」というような迷いがあるのではないか…と思いました。これは表現する者として必ずある葛藤ではないかと思います。でも、そんな中から自分の表現を創り出し、それを積み重ねていくのが表現者の姿であると思います。
だから今回のこの曲については、厳しい言い方をすると「まだまだできる」と思いました。当然、彼女もこれで完成だとは思ってないでしょう。頂点は無いのだから。彼女に与えられる仕事(mission)はもっともっと高い位置にあると思います。

彼女に与えられる仕事(mission)とは

全ての観客を自分の表現で魅了すること

であると思います。それがソロで演じる者の使命(mission)。次は大阪公演に参加する予定ですが、その時に彼女の表現がどうなっているのか楽しみにしたいと思います。


p.s.
今日は固い更新になりましたが、明日は今回書けなかったライトな部分と帰りに寄った春江レポートを書きたいと思います。