至上のブログ ~瑠々に魅せられて~

主にJuice=Juiceの段原瑠々さんに関連する内容です。2014/1/5までは昔の「愛に観せられて」の内容をインポートしています。

正しいファン(ヲタ)でありたいと

甲乙丙丁/藤原さん

至上さんはそっち、わたしはこっち
http://d.hatena.ne.jp/heitei/20041119#p1

…引用した部分は特に意図はありません。こちらは私の昨日の日記の内容に対して全体的にレスポンスしていただいているので、全てを読んだ上でこちらもレスポンスしたいと思います。


自分が好んでいる対象を貶められるのを容認することは、虚しいことだと思います。


…容認という言葉とは少しニュアンスが違うなあ…モーニング娘。という存在をよく知りもしないで頭から拒絶や否定をする人達は相手にしてもしょうがないということです。藤原さんも後で書いているように他人が心の中で感じることを止めることはできませんよ。

だからこちらが精一杯気を遣って迷惑にならないようにしてるのに、短絡的に「モームスウザイ」「モーヲタキモイ」と決めつけるような輩は放っておけということです。


手前にある人垣が熱狂的で特殊であるが故に彼女らの本当の魅力が外界へ伝わることがない


この部分が一番ファン(ヲタ)として気を付けなければいけない事だと思います。「好きだから」「愛してるから」熱狂して暴走してもいいという理由にはなりませんよね。だから、「私はモーニング娘。のファンです」と公に言える自分でありたいというのは、そう公に言っても彼女たちにとって決して不利益を与えたり傷つけたりしないファンでありたいということです。そして理想は全てのファンがそうであればいいと思います。それがどういうファンであるかという事は全てのファンが自戒して努力していかなければならない事だと思います。


何かに捉われているということですから


人は多かれ少なかれ皆何かにとらわれて生きているものだと思います。「モーニング娘。に」「ナンシー関に」「恋人に」「会社に」「家族に」というように… 余程の聖人君子でも無い限り何者にもとらわれず空気のように生きるということはできませんよ。ですから、私はとらわれている事を異常だとは思いません。…異常なのはとらわれるが故に正しい判断ができなくなって自分を見失い不正な行動をしてしまうことです。

ですから、「自由に自分の考え方で生きる」というのはそれだけ、他人や周りに対して気を配り自分自身を自分が正しくあるように制御するということと必要十分条件です。勝手気ままに振る舞っていいという意味ではありません。


前述したようにそんな公はいらないと思っているのです


そういう考え方も理解できます。モーニング娘。のファンであるということは、それぞれ個人のものです。本来他人が踏み込める領域ではないでしょうし… 私にとってのモーニング娘。と藤原さんにとってのモーニング娘。はまた違うものでしょう…

でも、私はもし仮に世間から「異常」だとされているとして、必要以上に卑屈にひっそりと自分達だけの世界に閉じこもってしまうのは寂しいんじゃないかなあと思うのです。「俺達モーヲタだから世間一般ではキモい存在なんだよ。だから世間一般では隠れて大人しくしてような」みたいな…

他人が異常と心で思うことは止められません。しかしそれに屈して必要以上に身構えてしまうことはそれ自体がそれを「容認」しているということになりませんか? 

前の日記で触れた高橋さんはよくご自身の日記の中で、ヲタの目に余る行為についてそれを批判する発言をされています。これは勇気のいる行動です。人の行動に対して意見をするということはパワーのいることです。私はこれまで、そういった事にはできるだけ関わらないにようにしてきました。その方が楽だからです。でもこれからはせっかくWebで日記を書いているのならいろんな意見を発言していきたいと思っています。

そうすることによって自分の気づかない事や間違っていることなど発見できる可能性もあるし、いろんな人とより交流を深めることができるだろうと思うからです。

ですので、今回藤原さんにレスポンスいただいたことは、また一つ自分に考える機会を与えてもらえたと思うし、非常に有意義だと思います。これからもこの件については考えていきたいと思っています。

そして最終的な一つの目標としては「誰の目から見ても正しいファンでありたい」ということです。「作っていけたら…」のくだりは理想論で実際には不可能なことかもしれませんが、そういう気持ちは持っていたいと思います。


至上さんはそっち、わたしはこっち


そっちもこっちも無いと思うんだけどな。同じモーニング娘。の、高橋愛のファンなんだから(笑)